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城郭用語?番外編・佐和山城
【史跡】佐和山城址の記事に佐和山城の説明が一切なかったですね。ここで補足させてもらいます!そして慶長4年(1599年)の昨日(3/4)は武闘派であった七将が伏見の石田三成屋敷を襲撃した日です。その後佐和山城に蟄居となります。そして、新暦の3/4は関ヶ原後に佐和山へ入った井伊直政のお誕生日だそうです。(旧暦では永禄4年(1561年)2月19日になります。)

城郭用語
佐和山城
築城年建久年間(1190年?98年)
築城者佐保時綱
構築山城(遺構・曲輪、土塁、石垣、井戸、堀)
廃城1606年

■歴史
元亀元年(1570年)織田信長と同盟関係にあった浅井氏が朝倉氏と組み離反した。浅井氏の家臣、磯野員昌の守備する佐和山城を織田信長が攻撃を開始する。翌2年の7月に磯野員昌が佐和山城を明け渡す。のち、丹羽長秀が入城する。この頃信長の拠城は岐阜城で岐阜と京都の中間地であった佐和山城をたびたび訪れ犬上郡支配の拠点となった。
本能寺の変後は、堀秀政が入城し堀秀政が転封に伴い堀尾吉晴が入る。
天正18年(1590年)小田原北条の役後、五奉行の一人である石田三成が入る(入城時期は異説あり)石田三成が入城後、大改修を行い五層天守が立てられる。(異説あり)
「三成に過ぎたるものが二つ有り、嶋の左近に佐和山の城」と謳われるほどの城であったらしい。
関ヶ原の役後は、徳川四天王の一人井伊直政が入り佐和山藩になるが、慶長11年(1606年)に彦根城が完成し佐和山城は廃城となる。

■佐和山城の戦い
慶長5年(1600年)関ヶ原の役で石田三成率いる西軍が大敗し、三成の拠城であった佐和山城に小早川秀秋軍が先鋒を勤め東軍が佐和山城を囲み攻め落とす。
一説には、三成の父・正継は将兵の除命と正継の切腹を条件に降伏したが、城の引き渡し直前に東軍が乱入し一族もろとも自決したという説もあり。

*参考*
読本 石田三成(長浜市立北郷里小学校)
↑長浜城で購入しました。学校の先生がかいたそうです。


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【史跡】佐和山城址の記事に佐和山城の説明が一切なかった。。すいません。。。
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城郭用語 | 【2009-03-05(Thu) 23:58:45】
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